秦始皇帝時代の蒙恬将軍が紀元前223年に南方の楚を征伐に出かけた際に、現宣城にてよく肥えて毛が長い野兎を見つけ筆を作ったのが始まりで秦から唐代宋代までは宣紙でも有名な宣城が毛筆生産の中心になり、宣筆と呼ばれるようになりました。安徽の宣州の野兎の紫毫は古代から高級品で、長年野生の竹の葉を専ら食し、山の泉を飲んで育つ雄の兔の秋の毛で、その中でも首根っこからほんの少しだけとれる“双箭毛”が天下一品とされています。唐代から筆匠として最も有名なのが諸葛氏一族で、王義之や柳公権も愛用したようです。
元代以降になると、時の統治者が製筆を軽視したことや度重なる戦火が原因で筆匠たちは江南の太湖一帯へ避難していくようになり湖筆盛隆の時代になっていきます。つい一昔前までは宣筆というといかにも中華お土産的な様相を呈していましたが、最近の若い作り手の作品は伝統と美を兼ね備えた目を見張るつくりのものがあります。
宣筆 諸葛氏製 鶏狼毫 東坡妙品
穂首径約0.7x穂丈約2.2cm
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