書道用品・篆刻用品の製造・輸出入、雄勝玄昌石硯・工芸品・建材の製造元

硯について

地質学的には北上山系登米層古生代二畳紀(2~3億年前)に属する黒色硬質粘板岩であり、その特性は純黒色で圧縮、曲げに強く、吸水率が低いため、化学的作用や永い年月にも変質しない性質を持っています。
雄勝石は玄昌石とも呼ばれ、1396年(室町時代)頃には硯石として雄勝地区で産出されたと伝えられています。
元和年間には、牡鹿半島へ鹿狩りに訪れた仙台藩主伊達政宗に献上され、称されました。二代目藩主伊達忠宗は雄勝硯師を藩お抱えとしたほか、雄勝石産地をお留山として一般の採石を禁じて保護しました。近現代にも愛用され、1985年に伝統的工芸品に指定されました。

中国から安価な硯が舶来してくる以前までは、日本の学童用硯の8割は雄勝で作られていたといわれ、町内に製硯従事者が数百名いたとされ、その方たちから集めた硯を通称硯屋と言われる全国の問屋や販売店へ向けて卸しをする業者が数軒あり、日本全土へはびこっていた模様です。
私もその1硯屋の息子として生まれ、幼少期は町を歩けばどこからともなく硯をゴリゴリのみで削る音がきこえてきたものでした。

雄勝地区には、六地区大小合わせて10ヵ所程の採石場があり、距離はさほど遠くないのに、少し地層が変わると石質が大きく異なり、緊密で発墨が秀麗な石もあれば、建築用に適した薄く割れる頁岩や歙州硯のように密度が高く非常に比重が高い石もあります。
一昔前の文房四宝を論じた文献によく雄勝石のあまりよくない評判が見うけられますが、それは通称「ペンコ石」と地元の業界者が呼ぶ、地層最上部の豆腐のように軟らかい石で、当時、学童向けの大量生産の効率を上げるため、加工しやすいペンコ石が大量に生産され、それだけを以って雄勝石を浅はかに論したものと思われます。

令和六年現在、日本において硯の需要の減少は更に加速し、硯屋と呼ばれる業者は、当社を含め2社のみとなり、更に東日本大震災の津波によって町や産業は壊滅状態となり、製硯業にたずさわる人口も5名程になってしまいました。
本来は硯材の採石から硯材成形、彫り、磨き、仕上げ、販売と各工程が分業化されていましたが、現在は1人で全ての工程をこなさなければならず、純国産硯の生産量は極端に少なくなっています。また、東日本大震災の復旧工事においては、雄勝硯の象徴でもあった伊達藩お留山採石場が道路建設のため強制収容され、貴重な硯材の採石ができなくなってしまいました。
現在は、唯一採石し続けている明神山で、建材採石のついでに何とか硯材を確保している状況で、作り手不足も含めて、雄勝玄昌石硯は今後、ますます貴重な工芸品となっていくことと思われます。

純国産雄勝玄昌石硯の製造は、完全受注生産となり、時期にもよりますが、概ね2~3ヵ月必要です。

雄勝硯
雄勝玄昌石_石山
雄勝玄昌石の石山
雄勝玄昌石の石山
雄勝玄昌石の石皿
和硯のサイズ
二五度(ニゴタビ)約4.5cm×7.5cm
三五度(サンゴタビ)約4.5cm×10.5cm
三八寸(サンパチスン)約4.5cm×11.5cm
四二寸(シニスン)約6cm×12cm
四平(シヒラ)約7.5cm×12cm
四五平(シゴヒラ)約7.5cm×13.5cm
五三寸(ゴサンズン)約9cm×15cm
小四六寸約10.5cm×16.5cm
大四六寸約12cm×18cm

※度(タビ)は1寸5分の幅を表し、平(ヒラ)は2寸5分の幅を表します。
いつの時代からこう呼ばれだしたのかは不明です。

準和硯

中国産の硯材で、玄昌石に近い性質の石材を中国で粗加工した後に日本へ輸入し、自社で和硯仕立てに仕上げ加工した硯で、日本市場では最も多く流通しています。

和硯のサイズ
二五度(ニゴタビ)約4.5cm×7.5cm
三五度(サンゴタビ)約4.5cm×10.5cm
三八寸(サンパチスン)約4.5cm×11.5cm
四二寸(シニスン)約6cm×12cm
四平(シヒラ)約7.5cm×12cm
四五平(シゴヒラ)約7.5cm×13.5cm
五三寸(ゴサンズン)約9cm×15cm
小四六寸約10.5cm×16.5cm
大四六寸約12cm×18cm

※度(タビ)は1寸5分の幅を表し、平(ヒラ)は2寸5分の幅を表します。
いつの時代からこう呼ばれだしたのかは不明です。

万葉硯

漆黒の硯に木箱を付けました。一般的に和硯や準和硯は簡易的に紙箱に包装しているものがほとんどですが、企画した万葉硯には漆塗りの木箱を用意しました。
書写活動途中にしばし休憩する場合も木箱をしておけば墨液の乾燥やほこりの混入を防げます。
中国石材の中でも玄昌石に近い硯材を半製品で輸入し、日本にて磨きと最終仕上げを施した準和硯です。

新素材硯

プラスチック成型した硯の表面を加工し、磨墨できるようにした軽量硯です。
軽いので、小学校生徒が持つ書道セットの多くに採用されています。

羅紋硯

旧地名歙州府(現:江西省玉山県)一帯から採石される硯材で、約1300年程の歴史があります。
日本へは1970年代の日中国交回復以来、安価な硯が大量に輸入され、日本国内の製硯業の衰退の大きな原因となりました。
しかし近年、現地に数千人いた従事者の出稼ぎ流出による人手不足や、十数ヵ所あった坑山が環境保護のもと採石が制限されたための原石不足で価格が高騰しています。
上羅紋硯は自社で仕上げ直しをした硯です。改刻羅紋硯は自社で磨き、仕上げをした硯です。

羅紋硯坑道
羅紋硯工場
羅紋硯工場

端渓硯 宋坑

宋代から採石されたことが名前の由来で、西江の北側の北嶺(山に令と表記する場合もある)数百キロ平米一帯の数ある坑道から産出されるものを総称し、採石範囲が広いので石質や石紋の差が大きいです。厳密には端渓という渓谷一帯から産出される石ではないので端渓硯ではなく端州硯または端硯です。
磨墨される墨液はやや粗く、大きな字や滲み効果を出す作品には適しているといえますが、細密画、細字、かな書きなどにはやや不向きかもしれません。

端渓硯 麻子坑

業界用語で沙浦麻子と呼ばれる石で、旧坑端渓硯の麻子坑に似ていることになっている新端渓です。一般には羚羊峡より東数十キロの範囲にある坑道を総称して沙浦坑とか斧柯東坑と呼ばれています。厳密には端渓という渓谷一帯から産出される石ではないので端渓硯ではなく端州硯または端硯です。
新端渓といっても明末清初から採石される歴史ある坑道で、賛否両論ありますが当社では沙浦の新麻子坑を麻子坑、端渓の本物の麻子坑を旧麻子坑または旧坑麻子坑と勝手に表示し、端渓硯も端州硯もひっくるめて端渓と総称し勝手に表示しています。どこの産地の磁器も総称してセトモノと呼ぶようなものと同じ感じです。

端渓硯 坑仔巌

業界用語で沙浦坑仔巌と呼ばれる石で、旧坑端渓硯の坑仔巌に似ていることになっている新端渓です。一般には羚羊峡より東数十キロの範囲にある坑道を総称して沙浦坑とか斧柯東坑と呼ばれています。厳密には端渓という渓谷一帯から産出される石ではないので端渓硯ではなく端州硯または端硯です。
新端渓といっても明末清初から採石される歴史ある坑道で、賛否両論ありますが当社では沙浦の新坑仔巌を坑仔巌、端渓の本物の坑仔巌を旧坑仔巌または旧坑坑仔巌と勝手に表示し、端渓硯も端州硯もひっくるめて端渓と総称し勝手に表示しています。どこの産地の磁器も総称してセトモノと呼ぶようなものと同じ感じです。

澄泥石硯

古くから澄泥硯は河の泥を固めて焼成したものや、はたまた石の粉を固めて焼成した石末(せきまつ)澄泥、石を削って作った澄泥石硯など多彩な種類が伝承されてきました。墨を磨る道具として各時代各場所で様々な硯が作られたことは確かで、記録に残らない澄泥硯が多数存在したのも事実です。
店主が知っている限りでは、現在でも作られている澄泥硯は二種類。一つは山西省太原近郊の旧名絳州の汾河から採取された粘土質の泥を何層もの沈殿槽を経て細かい上澄みの泥のみを絹袋で濾して固めたものを焼成するまさに泥を澄まして作る絳州澄泥硯、約1300年前の唐代柳公権の論硯の中に登場します。もう一つは蘇州近郊の雘村石とか蔵書石、霊岩石ともいわれる澄泥石硯、こちらは焼成ではなく石そのものです。いずれの澄泥硯も色によって田ウナギの腹のような鱔魚黄(ぜんぎょこう)、エビの頭内のような蝦頭紅(かとうこう)、河蟹の甲羅のような蟹殻青(かいこくせい)、珍しいものだと緑豆と呼ばれる豆のような緑豆沙(りょくとうさ)、深い紅色のバラのような玫瑰紫(ばいかいし)などと形容されます。店主の感覚では河泥を焼成した澄泥硯は鋒鋩の肌理が細かく、澄泥石硯は石質が非常に粗いものが多く意図的に粗く磨墨するのに適していると思われます。店主が見たことがある古硯で石末澄泥硯であろうと思われるものも肌理が粗かったような記憶があります。雄勝で昔大量に作られていた学童用の人造硯も、石の粉をプレスして固めたもので焼成はしないものの一種の石末澄泥硯といえるのかもしれません。

歙州硯

広義では旧地名の歙州府(現安徽、浙江、江西境界の各一部を含む)一帯から産出する硯材や同地域で制作、加工される硯を総称して歙州硯と呼び、狭義では現江西省婺源県龍尾山の麓の限られた場所から産出される硯を指し、古くから龍尾石と呼ばれ最近では老坑歙州硯などとも呼ばれたりします。深い青緑を呈した黒色の地に眉子(びし)、羅紋、刷糸、水浪(角浪)、魚子、玉帯、金星、金暈など多様な石紋が現れ洗硯をすると吸い込まれるような石紋が一層引き立ちます。鉱物の密度が高く、磨墨無声にて発墨は油の如し、墨液は久しく乾かない特徴があるとされています。広範囲から似たような石が採石されますが、店主の経験では、やはり龍尾山芙蓉渓から産出される老坑の石紋が最も美しく、発墨も良く、使用後にさっとふき取るだけで宿墨が残りません。良材は石声が金物のように高い傾向があると思います。山を一つ隔てた場所から採石される硯材も見た目はよく似ていますが老坑と比べると性能が劣ります。
近年では老坑は長期間採石が禁止されているため毎年原料が暴騰しなかなか手に入りにくくなっています。

洮河石硯

中国北西部の甘粛省卓尼県の洮河流域で産出される石で、約1300年前の唐代の柳公権の論硯に登場します。宋代の大家蘇軾や黄庭堅からも評された秀麗な硯です。昔から緑石の硯が舶来されたため洮河緑石と呼ばれることが多いですが、鴨頭緑と形容される緑石以外にも瓜皮黄、羊肝紅など多彩な色の硯材が見られます。現中国では一般に洮硯と呼ばれています。数十年前に材を求めて探検に出かけた際は蘭州から延々と追いはぎが出るという礫砂漠の中を洮河沿いに車で移動したことが懐かしいです。

松花江硯

中国東北部の旧満州、吉林省長白山の麓で産出される石で、硯材としては明代から採石され清代には満州族出身の清国皇帝御用硯になっていた硯です。一昔前は主に緑色のものが主に舶来されていたので松花江緑石とよばれていましたが、実は色彩が豊富で黄土色や馬肝色のものもあるのでここでは松花江硯と表記します。石質は加工の観点からは極めて硬度が高く、人力で加工するのが大変骨が折れる石ですが、磨墨の観点からは、古来から刃物の砥石にされていただけあってよく磨墨できます。

松花江緑石硯_1
松花江緑石硯
松花江緑石硯_2
松花江緑石
松花江緑石硯_2
松花江緑石の加工

泥砥石

書道用紙と硯の間を筆が行ったり来たりしているうちに墨液を紙に定着させる糊の作用がある膠やウレタンによって硯面に紙の成分が固着してしまい、磨墨・発墨の調子が悪くなる場合があります。
硯を使用した後または使用前に泥砥石をかけることにより硯面の状態をよく発墨する状態に保つことができる状態になります。硯の形状を変えたり大きな傷を治す場合はノミで削り、金剛砥石や耐水サンドペーパーを使用しますので泥砥石は修理には使えません。
泥砥石は粘板岩付近の限られた地層からしか産出されず、表土の粘土層が数千年の圧力によって固まったものとお思われます。採石する場所が数メートル変わっただけで粒度が変化し、採石する度に質も若干変化しますので当たりハズレが多少あります。

泥砥石のかけ方

①硯に水を讃え、墨堂を泥砥石で砥ぎ子粉が出るまで円を描くようにゆっくりかけます。

②歯ブラシなどを利用して砥ぎ粉で隅々の汚れもおとしてあげます。発泡スチロールの破片もおすすめです。

③砥ぎ粉を水でよく洗い流し乾燥させます。硯面が白くなると思いますが使用に問題ありません。気になる場合は墨液を5倍くらいに希釈して表面に塗ってよくふき取るときれいに仕上がります。

一品もの硯

量産していない一つ一つ製作された一品もの硯や古旧硯、仿古硯、各地の珍しい硯を掲載しました。コレクターの方、マニアの方、上級実用者向けの硯です。