書道用品・篆刻用品の製造・輸出入、雄勝玄昌石硯・工芸品・建材の製造元

書道用品・篆刻用品の製造

書道用品・篆刻用品を企画・製造し、専門店を中心とする顧客へすぐに供給できるように国内外の拠点に商品を在庫している製造卸売業です。主に日本と中国の市場に商品を流通させて末端ユーザー様のお手元に道具が滞りなく届くように努力しています。超零細企業のため商品企画から製造管理、貿易、出荷、経理まですべて自分でやらないといけませんが、中国の地の果てまで宝探しにリュックを背負って飛び回る楽しい稼業を満喫しています。

出張 山西省で乗り継ぎシルクロードへ
景徳鎮
絹織物
輸入コンテナ
輸入コンテナ荷捌きの様子
登米倉庫

雄勝石工芸品の製造

石皿等のテーブルウェアをはじめ、生活の質を高める様々なものを製造します。2億5千万年の眠りから覚めた玄昌石を人の手を加えて生活に溶け込ませます。食品にかかわる製品には食品衛生法に基づく塗料で仕上げしていますので安心してご使用になれます。経年使用に伴う仕上げの劣化したものは再度仕上げ直しが可能な点が輸入品との違いかもしれません。 私は山から石をとってきて、工芸品や硯を作っているときは、1991年竹中直人監督・主演の映画「無能の人」を思い出さずにはいられません。

石皿
各種石皿
石皿

雄勝石建材の製造

東京駅をはじめ、明治から昭和にかけて建築された全国に点在する巨大なスレート葺きの建物の大半には雄勝石スレートが葺かれています。当時から高価な建材であったため、国家予算が投じられる建物や財閥の建物に多く使用されたようです。明治初期には西南戦争で国事犯となった薩摩藩士ら300人ほどが宮城監獄所に収監されていました。うち、70名ほどが宮城県内の開墾を申し出て、西郷隆盛の叔父にあたる椎原國幹ら70人ほどが雄勝に護送され、東日本大震災の津波で流され今は無き天雄寺に寝泊まりしながら硯の制作や雄勝石スレートの製造に携わっていたとのことです。収監といっても、志士たちは犯罪者ではなく学もあり侍でもあったので特段幽閉されることもなく、災害時は町の復興に活躍されたりしたそうで、そのまま雄勝に住み着く人もいたそうです。雄勝石スレートは海外産に比べて耐久性が優れているので屋根材として軽く50年~100年もちます。誰もやりませんが、もともとは硯石なので雨の日に屋根に登って墨を磨れば墨液ができます。現在では当時の建物の多くは重要文化財となっていて数十年に一度修復工事があり、その修復に合わせて硯組合を中心に組織される採石・スレート製造部隊として弊社も事業に参画しています。一般建築においても、高価ながらも建物の一部に本物を使用したいと願うこだわりのある方々からの需要が近年増しています。 時代の流れと先の震災の影響で多くの業者が廃業し、現在では国産スレートを採石から製造まで取り仕切れる業者は弊社と親戚の業者2社のみとなってしまいましたが、何とか共同で製造を維持しています。近隣の小中学校へ赴き、雄勝石製造の体験作業を毎年行っています。

雄勝石スレート製造

雄勝採石
明神山ロックドリル掘削
雄勝石成形
雄勝石成形
雄勝石スレート
雄勝硯伝統産業会館-壁面に使われているスレート材
スレート屋根葺き

スレート葺きの建物

2022年スレート出荷 旧北海道庁札幌赤レンガ
2024年スレート出荷 旧山形県庁
東京駅
東京駅屋根細部
上野 三菱創業者岩崎邸
2022年スレート出荷 清水建設内に移築された旧渋沢栄一邸
京都府庁旧館
京都府庁旧館
一面雄勝石貼りの洋風建築
一面雄勝石貼りの洋風建築