魏晋南北朝時代まで竹簡等で文書が往来した際に使用された封泥に変わり紙が使用されるようになった隋唐以降、文書に水や蜂蜜などで溶いた朱砂で捺印されるようになりました。しかし水が乾くと容易に脱落してしまうため、元代、一説によると明代、特に永楽年間以降は油で調合された朱砂が使用されるようになり、以降改良が重ねられ現在の印泥が完成されたようです。
印泥の主原料は鉱物顔料、植物油、植物繊維、天然香料、漢方薬などです。
鉱物の朱砂は辰州産(現在の湖南省)が古来から有名で辰砂とも呼ばれ錬丹術などの水銀の精製の他に、朱色の原料や仙丹と呼ばれる不老不死の漢方薬の原料として珍重されてきました。日本でも弥生時代から産出が知られ、古墳の内壁や石棺の彩色や壁画に使用されていました。古くは徳島、三重、奈良が産地です。粉末にした朱砂を水中で撹拌して下に沈む粒子が粗い朱砂と上部の粒子が細かい朱磦に分別します。通常数十kgの朱砂から朱磦はわずか1kgほどしか採取できず、とても高価な所以です。純天然原料印泥は基本的にはこの鉱物の粒子の組み合わせで色彩を調整しますが、天然鉱物は大変高価なため、人工的な化合物を加えてコストを調整した印泥がほとんどで、天然鉱物含有量に比例して印泥の価格もピンキリです。粒子の細かさの違いの視覚効果で赤口、黄口とに分別されます。
朱砂は別名硫化水銀で、水銀と硫黄が化合した天然鉱物です。朱砂を精製して水銀を取り出すことが可能ですが、一般的に金属状態の水銀は水に溶けないので誤って飲んでしまっても毒性はでないとのことですが、水銀の蒸気を灰に吸い込むことは血液に水銀を取り込むことになり少量でも毒性を発揮します。塩化水銀のような水溶性の水銀化合物も大変な毒性を発揮します。よって、印泥は常温の状態では毒性はありませんが、印泥を熱して出てきた蒸気などは猛毒であるといえます。なお比較的安価な朱墨などに使用される銀朱とは硫黄と水銀を化合させて作った人工顔料です。
植物油は天然の蓖麻子油ひましゆを天日で数か月水分を蒸発させたり、ゆっくり加熱して水分を蒸発させたり、工房によって様々な製法のものを添加します。
植物繊維は一般的にヨモギ科の植物繊維を取り出したものや蓮の茎の繊維をと出したものをしようするなど各工房ごとに製法がことなり、繊維の質の違いによって印泥の質が大きく左右されます。
無印 印泥
上海の某有名印泥会社の元副社長が同レシピで製造する無印印泥で、以前は当有名印泥会社の下請け工場でした。ブランドを付けずにできるだけリーズナブルにご使用いただきたく企画いたしました。
上海石泉印泥
社長の李さんは元上海西冷印社の女性社長で、呉(昌碩)氏潜泉印泥の第三代継承者であると同時に清末民初の張魯庵印泥の第二代継承者 高式熊先生に続く第三代継承者で退職後に印泥製造会社を設立しています。石泉印泥の創始者でもあり、研究熱心で品質の向上に余念がなく北京栄宝斎、上海朶雲軒、杭州西冷印社などの有名店や有名篆刻家の印泥を製造しています。当店主も現在は当工場の印泥がコストと品質の面で最も優秀だと思いおすすめしています。日本では大変おなじみの美麗という印泥は、もともと上海西冷印社の初代社長の呉昌碩先生が天然朱砂に赤い原料を添加して考案したもので、現在は上海西冷印社が商標登録してしまっているため中国では他メーカーはこの呼び名を使用できず、他の名前で出品しています。石泉印泥でも同様に中国ではこの名前を使用できませんが、日本に輸入後は分かりやすいように従来の商品名で表示します。
上海西冷印社
潜泉印泥
西冷印社は金石の保存、印学及び書画の研究を目的に1904年に創建され、初代社長に呉昌碩が任命されました。彼が開発し、愛用した美麗印泥は日本でも有名です。本拠地は杭州西湖区の孤山にあり、印学研究の中心、天下第一名社として歴代の篆刻家や書画家の殿堂となっていて、日本からも多くの先人たちが社員として研究に携わってきました。上海西冷印社と区別して一般に杭州西冷印社と呼ばれています。
上海西冷印社は呉隠(字:石泉、石潜)が杭州西冷印社の承認を受け分家した会社で、印泥と印譜の製造が主要業務で当初は本家杭州西冷印社の下請けで印泥を製造していました。1950年代後半、中国の多くの企業が国営化され杭州西冷印社が杭州文化局の所属になっていた時代には、多くの人員を上海西冷印社に派遣して印泥の製造方法を習得させ、その後は杭州西冷印社自ら印泥を製造するようになったそうです。しかし光明、美麗、箭鏃という品名は上海西冷印社が中国内で商標登録していたため、過去にその商標名を使用して製造販売した杭州西冷印社は後に商標侵害で上海西冷印社から訴訟を提起され賠償金を支払わされたそうです。このような逸話もあるほど、もともとは出がおおむね一緒だったのに時代を経て訴訟しあうような全く別の会社になっています。
蘇州印泥
蘇州姜思序堂は1628年に蘇州にて姜という姓の画家が創業した中国画用の顔料を製造する会社です。太平天国の乱の戦火の中では一時製造を中止し各地へ疎開していましたが、その間、元従業員であった黄石裔が黄絵林堂として顔料製造を継続していました。戦火が収まると姜氏の子孫は蘇州へ戻り、黄氏の製法を習得し再び蘇州姜思序堂を復業したとのことです。その後国営や公私合営、解体、再組織を経て、現在に至ります。近年では任伯年、呉昌碩、徐悲鴻、斉白石等多くの著名画家たちが伝世の名画上でここの顔料を使用しています。中国画で使用する天然鉱物顔料は印泥の原料と共通する面があり、早くから古塔牌印泥の製造もおこなっています。
高式熊印泥
上海石泉印泥社長の李さんは元上海西冷印社の女性社長で、呉(昌碩)氏潜泉印泥の第三代継承者であると同時に清末民初の張魯庵印泥の第二代継承者 高式熊先生に続く第三代継承者で退職後に印泥製造会社を設立しています。その第二代と第三代が合作して作り出したのが高式熊印泥です。上品、精品、珍品と三種類あり、微妙に鉱物の配合に差があり色合いがそれぞれ若干異なります。しかし2019年に高式熊先生がご逝去すると商品の版権が消滅し、この名前での流通は終了となりました。本品は(元)高式熊印泥として旧商品名は使用できませんが、全く同じレシピで同じ職人さんが製造した商品です。保存の都合があるため、すべて詰替え用で準備いたしました。おそらく本印泥をご使用になる方はそれなりの上級者と推測できますので詰替え用のまま出荷いたしますので、ご自分でご調整のうえ印合へのお詰め替えをお願いいたします。
呉昌碩 缶廬印泥
日本では大変おなじみの美麗という印泥は、もともと上海西冷印社の初代社長の呉昌碩先生が天然朱砂に赤い原料を添加して考案したもので、現在は上海西冷印社が商標登録してしまっているため中国では他メーカーはこの呼び名を使用できず、牡麗とかの名前で出品しているようです。箭鏃も同様のようです。石泉印泥では先述の呉昌碩先生が好んで使用した美麗紅印泥を研究し缶蘆ふろ印泥として上品、精品、珍品と三種類出品しています。印合に装填したものは売り切れ次第販売終了予定です。おそらく本印泥をご使用になる方はそれなりの上級者と推測できますので以後は詰替え用のみ在庫します。ご自分でご調整のうえ印合へのお詰め替えをお願いいたします。
梅花印泥
練り不要でそのまま使用可能な印泥です。短いヨモギ繊維を使用していますので、本印泥のように練ると逆にぼろ付きが出てしまいます。予算に限りがある学校教材に最適です。実印用としても使用できます。
缶入り印泥
練り不要でそのまま使用可能な印泥です。短いヨモギ繊維を使用していますので、本印泥のように練ると逆にぼろ付きが出てしまいます。スタンプ用、実印用としても使用できます。
印泥メンテナンス用品
印泥は消耗品です。使用すれば使用するほど消耗し、成分の顔料や油が減り本来の性能を発揮できなくなります。また、原料の一つが植物性の油なので気温の影響を受け、暑ければ緩くなり寒ければ硬くなります。このような場合に使用するメンテナンス用品を紹介します。
印合
印泥用の容器で、主に釉薬がかかった陶器製をおすすめします。素焼きの陶器や表面に漆やニスを塗っていない木製のものは印泥油を吸う性質があるため、印泥がすぐに乾燥してしまうのでおすすめできません。